◆「崋山仁愛作「為朝伝説の真実は如何に!」◆
「崋山仁愛作」
『中山詩文集』>JAMP.
風吹けば鬼さえ揺れる糸柳心あり >JAMP
崋山仁愛 BLOGS SITEMAP>JAMP.「御父上! 鎮西八郎為朝 只今九州全土制圧し帰参いたしました。」
時の六条判官(rokujouhougan)源為義の京の堀河の屋敷の広い参内の間に為朝の威勢のよい大声が響く。その威勢のよい態に参内の間に居並ぶ兵たちが一様に笑顔を作って首を小さく縦に二度振って頷いて感心する。
「うむ。鎮西殿、大儀。」と父為義は言った。深々と拝礼する為朝に「面をあげよ。」と続けた。「九州での活躍おおいに結構この上なく身上褒すべき処。手柄余りあるを御子様御一派の反感の因と在る。故なる上洛の上意にて承知致すべし。」と言った。為朝は父の顔を3年振りに間近に見て懐かしさよりそのやつれた様子に心が曇った。
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さらに為義は「この度遠路早々ではあるが内裏の紛ありて控えて御沙汰此れに従うべし。」と言われた。
為朝はそのままに釈礼して退座して従った。戦は親子の久しい時を抱擁する寸暇さえ与えずに次なる下命を授けて憚らない。偲ぶべきもない。親子の情など天糺の勅の前には吹き飛んで然るべきであった。情より濃い血潮でさえ相違えて争わなければならない。参内の間を後に長い廊下を渉る為朝は庭の石灯篭の半月を見て血縁の情さえ「半月のように欠いてなを美しく在るらん哉。」と思うしかなかった。兄上に逢いたい。逢ってあの大好きな笑顔で微笑んで抱きしめて貰いたい。だが時の流れはすさまじく激流であった。たったのふつ日の違いが再び兄弟の情を交わすことをを拒んでいた。その川の瀬々らぎの淵には延々と続く壁が断ち塞がっていた。その壁はまさしく平安京の内裏の白壁と同じく内外を境とするだけのもでしかないのに常人がその内に入ることは到底叶わないのと同じで高く聳えて肉親の交わりを隔てていた。
だがこの時はまだ父為義は崇徳派には加わってはいなかったのであった。ただ父上の立場上兄上義朝と対立すことになりそうな予感があっただけであった。兄者が父為義と反目しているからではなかった。役職の立場上でそういう対立関係を生じてしまうだけのことであった。そんなことなら役職を捨てればよいではないかと今日的に思ってしまうがこの時代の者たちには忠義より重いものはなく忠臣より気高い者は存在しなかったのだ。その予感は予感で終わらなかった。期待は常に人に背を向けたがっている。この時為朝は石灯篭を目にして佇んで胸中を過ぎるいやな予感を振り捨てようとはせずにそのまま天を仰いで暮れ行く茜色にひと息のため息をついた。為朝の空を見上げた眼は清く澄んで茜が映えて鋭く光った。天を見上げたまま肉親の情に思い馳せている為朝の目蓋は茜の陽に眩しすぎたのであろうか、ゆっくりと閉じた。閉じた眦に一筋零れ落ちんとする朱玉が満天の茜を映えてまるで紅い血潮がにじんでてくる様でもあった。
為朝と面会後に父為義は宵の早くに崇徳上皇より呼び出されていた。摂関家藤原頼長ら崇徳派の主だった者大諸家が居並んだ崇徳上皇の参内の間は夏の夜の蒸し暑さもあって遊興な公家たちがう唄読みに集うときのような和やかさは無くほとんど通夜のごとき重苦しさがその場を覆い息をする事さえ憚られるほどに沈んでいた。総大将を下命された。直下仰天して拒絶したが執拗に迫られてやむなく拝命した。と言うよりも承諾させられたと言ったほうが確かかもしれない。頼長が押し付けたと言って過言ではない。 時の摂関家藤原も分断していたことが平安朝凋落の大要因であろう。これはひとえに時代の流れでもある。ここで大きな反対運動を繰り広げたところで平氏が台頭して摂関家をないがしろにすることに変わりない。たとえ万に一つ勝機が崇徳側に味方して天を戴くことになたとしてもその時は為義の権力が想像を絶するほど強大に成ることは避けがたく藤原摂関家は冷遇の憂き目似合うことは同じなのだ。為義であっても先の白河天皇の思い入れを一身に浴びて鳥羽法皇が"後白河"と名乗らせている今上様の後白河天皇に心底反抗する理由がない。「藤原にあらざんれば、人に在らざる」と隆盛を誇っても栄枯は盛衰、是常成る理にして世の変遷は否応無く人の意思を踏みにじる。さらには命ある者のすべてを蹂躙して新しき世作りを否応なくして行かねば成らない。それをあがく物が呼び込む悪霊が無関係な者達に及びことさら必要の無い殺戮を世に成して疑獄をみせる。
事の成り行きとはこんなもんである。後後に無残に繰り広げられる地獄絵図を察知していながらも老体に鞭打って崇徳天皇の御身亦不憫を憂いて渋渋とは言え総大将を引き受けたことはその時局を見誤ったとしか思えない。さらにすでに大勢は平清盛が鳥羽法皇の御在命の時から万端手はず済みで清盛の画策は思い通りに運んでいたのであった。その裏では摂関家さえ糸を操り京の都に万重の陰を翳らして嵐山の夕暮れの闇のように長く重たく覆いかぶさっていた。このうえに為義が総大将として起ったところで敗軍の将の汚名を受けるだけのために総大将となる様なものであった。なぜ故に為義は朝臣一党を破局へ導く様な崇徳上皇派の策略の堰となって止めることができなかったのであろうか。運命と語ってしまうには余りに憐れな戦世の始まりを創ってしまった。
もともとこの火種は崇徳上皇の辛抱の不足が呼び起こしたもであった。崇徳上皇が帝位であった時にその性質が他心を招いて画策を企てられ風評を煽り内裏の品位を世衆に晒し者とした。根拠のない話で責められようがないことではあったがその時の鳥羽上皇の措置は体面上最善な処置ではあったであろうから事さらに天皇の譲位に固執する御心は子供じみているとも思えなくもない。
おおよその見当を得てその因果は摂関家の為すところが無きにしも非ずと行覚が教える。
そのことは為義も周知のことであったはずでそれを判りながら平氏の策に溺れてしまう。策士策に溺れるとはこの事なり哉。
この時の総大将を仰せつかった時に為義は白河天皇所縁の宝刀鵜の丸を崇徳上皇から賜っているがこのあと為義は家伝の宝物である八領の鎧をそれぞれ子に贈している。いわんやすでに御賜物さえ無用のものとして見えていたのであった。そのことから推察すれば為義すでに敗軍の将たるを知っていたのかとも思う。六孫王朝臣源経基が伝える家宝である。此れを散ずるは子々孫々の恥と判っていない筈はない。家宝を分散すること自体がありえない所業である。なのに何故誰もその所業に感づく者がなかったのであろうか。為義自身もその自分の不自然極まりない行動に疑問を感じて行動の時期を多少にずらすことなど策していれば歴史上類まれなる残虐非道の戦世を回避できたかもしれないと考えるは私だけであろうか。それとともに自軍に勝ち目がなくても最悪まさか斬首となるとは思っていなかったのだろうがその予見は見事にはずれて自分の一族の憐れだけではなく後顧の憂いを招いてしまう一大事となった。平安朝ではそれまでも謀反は度々あってその度にその咎を受けて斬首にまでなった者など此れまで薬子の変(くすこのへん)平城太上天皇の変)で藤原 仲成(ふじわら の なかなり)が嵯峨天皇の逆鱗に触れ裁判も経ず即刻射殺されて以来三百五十年間皆無であった。日本の歴史上初の女帝である推古天皇(すいこてんのう=額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)が天皇号を称えて律令制度を布いて以来五百年の長い間いかなるからクーデターであろうといかなる謀略檄であっても死刑になる者はいなかった。三百五十年前の藤原仲成の亡霊が平安京を呪っているなどとは無想だになかったであろう。為義は最悪お家は潰しても義朝さえいれば義朝が一族を再興してくれると踏んでいたのであろう。全てを義朝に託したのだと思う。その願いを後世源頼朝が全うして叶うことになるがそこまで策士として読んでいたとすれば為義の先見の明に驚く。諸葛孔明を超えていると思えるぐらいだ。なかんずく為朝も幼少より卓越した運勢を持っていたので為義は為朝もこの難局をわけなく越えてくれるだろうと信じていたのだと思う。己の生涯は己が切り開く。その力が為朝には十分すぎるほどあると見破っていたのだろう。看破して生涯を墜ず!看破し過ぎて亡霊に憑かれてしまったか。武神六条判官朝臣源為義残念為り!
次の日の早朝に内裏の内偵から「宇野七郎殿(源親治(tikaharu))捕縛!」の報が為義の陣にもたらされた。動揺が陣地を走った。陣幕が強風に煽られてバタバタと音をたて揺らいでいる。打つ手は清盛一派の方が早い。早くてさらに巧妙だった。檄に応えるべく上洛しようとする為義の縁は悉く獄舎の畜となった。斬られて朽ちてゆく者もあった。開戦の鐘がすでに鳴っていることを否応なく知るばかりであった。為義は決戦を覚悟するしかなかった。勝鬨は聞こえようもない戦であることを百も承知で策を講づる気力が引き潮のように心の中で漣をたてて引いてゆく気がする。昨夜御賜した宝刀が”うのまる”、今日捕えられた大和源氏が”うのしちろう”韻の似て陰かげる。為義はバタつく陣幕の向こうに消え往く己が姿を追った。
宇野七郎親治を捕らえたのは平氏台頭の御旗のような輝かしい若武者であった。その名を検非違使左衛門少尉 朝臣平基盛、17歳の若者であった。年のころは為朝と同い年である。そして何より為朝と競っても勝敗の行方が見えないだろうと誰もが思えるほどに剛の者であった。弓に同じ。槍に同じ。刀に同じ。馬に乗り手もその才長けて、どれを為朝と比肩しても劣るものはなかった。さらに容姿端麗にして頭脳明晰。絵に描いた如く秀逸を究めた。まるで為朝と競い合って切磋琢磨しろと天が遣わしたようにその存在感は為朝を凌駕せんとするほどの男であった。
「【第3話】保元の乱核心・怪なり!軍略」へつづく
乞うご期待!
崋山仁愛作「為朝伝説の真実は如何に!」
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